伝説の永遠の歌姫・本田美奈子
1985年4月20日・東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビュー。
4枚目のシングル「Temptation(誘惑)」がヒットし数多くの新人賞を獲得。
1986年の「1986年のマリリン」が大ヒットし、一躍トップアイドルへの扉を開いた。
和製マドンナと称されヘソ出しのセクシーな衣装は一大センセーションになった。
その後もロックバンド“MINAKO with WILD CATS”結成など順調にキャリアを伸ばしていき、
大スターの階段を上ったが1990年からはミュージカルの世界へ足を踏み込む。
ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれ、一年半のロングランをこなす。
その歌唱力、演技力は高く評価され1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞した。
その後もミュージカル役者としてのキャリアは続き、順風満帆の芸能生活かと思われたが、2005年急性骨髄性白血病で緊急入院。
激しい闘病の末11月6日に死去。惜しくもこの世を去った。
しかしその歌声、生き様は評価されミニアルバム「アメイジング・グレイス」は17万枚のセールスを記録。
永遠に生き続ける歌声は多くの人を勇気づけた。
ハードコアチョコレートはそんな歌姫・本田美奈子とコラボレーション。
リブ・フォー・ライフ美奈子基金の一環としてプロジェクトに参加。
永遠に忘れないという気持ちでブラック、ホワイト二種のデザインを完成させた。